Yさんは82歳の双葉町民。原発事故で避難してきたときは70歳でした。若い時は漁師さんをしていて、その後サッシ屋を経営。避難所の騎西高校美術室では、「察しがつかないだろう」といって、みんなをよく笑わせていました。
奥様は、双葉で美容室を経営。長引く避難生活で体調をこわし、いつも美術室では横になっていました。避難所が閉鎖になるとご夫婦で借家生活、その後新築住宅を購入。誰に気兼ねすることなく暮らせるようになった頃には要介護状態になり、市内の介護施設に入所。体調はさらに悪化し、緊急入院。帰らぬ人になりました。
ところが、岸田政権は「原発回帰」。原発の60年超運転や建て替える方針。改正法案を通常国会に提出へ。
原発のまちの「双葉町」。美容室とサッシ工場は、まもなく撤去される予定。事故後、一時帰宅で持ち帰った船舶用の「羅針盤」。
フクシマを忘れるな
フクシマを繰り返すな
自公政権は日本の針路を見失うな
Yさんがこぶしを握る
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